はじまりは屋台のおでん屋さん
初代女将が屋台のおでん屋を開業したのが昭和30年。
ちょうど西岸良平さんの、その後映画化もされた『三丁目の夕日』の舞台となったころです。
新城のまちも、電気関係の企業が続々と進出し、活気溢れる時代だったのではないかと思います。
小唄の師匠でもあった初代女将がその人柄を買われ、あるひとから屋台ごと商売を譲り受けたことからスタートします。
女将は名古屋生まれ。芸事にも長けていたようですが、ユーモアのある人柄で、何より人と話すことが上手なひとでした。
日本舞踊や三味線などもこなす、粋な女性だったようです。観劇した芝居の話をする女将のお喋りを聞いたお客様が『実際に観るより楽しい!』と言ったというエピソードもあります。
数年後、当時中学生であった二代目女将がセーラー服で店の手伝いをするようになりました。
社交的な母とは対照的に無口でシャイな娘。そんな異なるタイプの母娘がきりもりするお店は微笑ましくもありましたが、反面、二代目女将の厳しい修行の場でもあったのかもしれません。